舞台裏

HISTORY 9

2016年10月1日

皆さま、いつも当ブログにお越しくださいましてありがとうございます。
ゆっくりペースで進めております、当社の成り立ちを皆さまにご紹介
させていただくこのシリーズも、今回で9回目。

今日は新型調光器をテレビスタジオを皮切りに日本の名だたる劇場へ
納入してゆく舞台照明革新期のお話です。

第1話 は コチラ
第2話 は コチラ
第3話 は コチラ
第4話 は コチラ
第5話 は コチラ
第6話 は コチラ
第7話 は コチラ
第8話 は コチラ

をご覧くださいね。

では、スタートです!

日本経済が復興し、国民の生活水準の向上に伴いテレビという大衆的映像文化
が目覚ましい発展を遂げる時代がやってくる。

昭和26年テレビジョン実験放送が実現すると当社でもアメリカやヨーロッパの文献
を頼りにテレビスタジオ用の照明の研究が開始された。
NHKでは昭和29年に本放送を始めるに当たり、国内産の機材でテレビスタジオ
を作ろうという機運が高まり、照明設備については当社で担当することになった。
舞台照明で培った技術を基に、実験放送開始からほどなくして取り組み始めた
スタジオ照明の研究成果を存分に発揮することができた。

以後、NHKに次いで開局するテレビスタジオ照明においても当社は業務を通じ
貢献してゆくこととなった。

劇場界においても丁度その時期、現代科学と技術の粋を集めた劇場建設の計画が
立ち上がり日生劇場の建設が始まった。
日生劇場は外国の一流劇場で当時採用されていたサイリスタ方式(シリコン製の
半導体素子により大電流を制御する整流器を利用した調光方式)の調光装置
を取り入れた。

多数の場面を事前にセット出来るこの方式は照明の変化を瞬時に行えるなどまさに
最先端の技術が導入された設備であった。

技術部門の責任者であった吉井澄雄氏(現 公益社団法人日本照明家協会名誉会長)は
著書『新劇と私の数十年』の中で次のように記している。
「当時の劇場、ホールの貧しい照明設備では、とても自分が考えているような照明は実現
できそうになく、また、それを改善する力もなく、
その方途もすぐにみつかりそうもなかったからである。 (中略)
その頃のテレビ局はアメリカの技術に追いつくために、最新のエレクトロニクスの
情報を取り込むのに大量で、その中には欧米の新しい技術資料もかなりあって、
門前の小僧よろしく自分の糧にしてしまった私は、こうした照明の設備や器具を何とか
劇場に採用できないものかと夢見ていたのである。」

サイリスタ方式の調光装置は後に建設された国立劇場や解体・建設される帝国劇場など、
ほとんどの劇場に採用されることとなる。

明治年間から建設の話が持ち上がりながらも実現に至っていなかった国立劇場建設、
明治44年の開場以来、日本文化の殿堂であった帝国劇場の解体・建設は同時期の
出来事である。当社にとっては喜びの多い仕事であり責任の重大さに身が引き締まる
思いであったと当時の関係者は話している。

昭和42年にはこれからの時代を担う若い世代の人々に、舞台照明の知識の向上
や認知の拡大の助けになるようにと“丸茂ライティングニュース”を発刊。
(バックナンバーはコチラ)舞台照明にまつわる様々な情報や知識のわかり易い
解説は学校演劇に携わる人やアマチュア演劇に携わる人々などにも広く読まれ、
好評を博していた。

このように、実際の建設業務だけでなく舞台照明を一般に浸透させようと
現在に至るまで広く活動を行っている。

 

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